いつからかギャルはダウナーでバッド

ギャルタレントは何人もいるが、私が好きなのは断トツでゆきぽよだ。

 

ゆきぽよのメディアへの露出が減ってしまったことが悲しい。

 

ギャルタレント枠でみちょぱやゆうちゃみの台頭が目立つのが悲しい。

 

私が好きなのはゆきぽよであって、ギャルなら誰でもいいのではない、ゆきぽよの代わりは誰にも務まらないのだ。

 

あの一件がなければゆきぽよが出演していたのかもと思うと悲しい。

 

人生取り返しがつかないことが多くあるが、自分のことではなく他人のことで、ゆきぽよの交友関係がもう少しましだったのならとどうしようもないことを考えてしまう。

 

みちょぱやゆうちゃみを見るたびバッド入るから今後もしばらく私にギャルは禁忌だ。

 

 

 

 

「元彼死ね」は恨みではなく悲しみに満ちた呪文

 

3年半付き合った彼氏と別れることになった。

 

半年一緒に暮らした。

 

一緒に暮らして楽しかったのは私だけだったようだ。

 

別れ話が長引き、最後にはお互いの不満点を言い合う最悪な形になってしまった。

 

私は不満があっても好きな部分の方が大きいから不満を見過ごしてこれたが、彼はそうではなくなったのだろう。

 

長引かせたことで言うつもりのなかったことを言わせたし、言ってしまった。

 

 

 

 

不穏な私は2月中旬、彼のサブ携帯を見てしまった。

 

2月9日に撮影されたハメ撮りを見つけてしまった。

 

まだその時、揉めている最中で、別れたつもりはなかったんだけどな。

 

どっちにしろ、そんなにすぐセックスする相手いるんだ、いや初回でハメ撮りするか?なんて。

 

私は別れたら男なんていないのに、鬱々としているのにお前は気晴らしセックスか?

 

私もパーっとセックスしてぇーと思ってセックスのことを考えてみても、「駄目だよ」と言いながらノリノリで彼氏の上で腰を振っている女の映像がフラッシュバックしてしまうし、ここ数年セックス相手は彼氏しかいなかったせいか、真剣に腰を振る彼氏の顔や、射精直前に私の名前を呼ぶ声ばかりが思い出されてしまって新規セックスはおろかオナニーどころじゃないのだ。

 

ハメ撮りを見たせいで胃が痛くなるし、別れの理由もわからなくなる。

 

あらゆる感情を巡らせてしまうが、それは私の好きな、私のことを好きでいてくれる彼氏はいないのに、今は元彼氏となった彼という人間自体は存在するからだ。

 

私の前からいなくなるなら、死んでしまえばいいのに。

 

死んでしまったなら、仕方ないじゃない。

 

新しい女と楽しくやっていることを想像してしまったり、この期に及んでいずれ私のところに戻ってきてくれればいいのにと思ってしまったりするのは、彼が存在するからだ。

 

死んでしまえば、喧嘩別れしたこともそんなこともあったな、などとしみじみして良い思い出にできるのに。

 

数ヶ月前まで、ふと不摂生な彼が急死してしまったらどうしようなどと想像して涙を流すなんてことをしていたのにね、笑う。

 

 

 

冗談だよ、笑ってくれ。

 

 

 

非日常に求めすぎているのかもしれない

 

 

先週一人で鳥取旅行をした。

 

 

旅行に行く前はどこをどうやって観光しようか、初めて乗る列車はどんな感じか、なんてすぐ先のことばかり考えていてハッピーだ。

 

 

旅行中は言わずもがな。

 

 

帰ってきた直後も充実していた旅のことを思い、写真を見返してはご機嫌だ。

 

 

だが旅行を終えて数日経つとどうだろう。

 

 

仕事で嫌な思いをしてそのことを思い出してしまうし、それに無関係な嫌な記憶まで蘇ってしまう。

 

 

楽しみな予定を失った私は、すぐに過去ばかり気にして気が滅入るネガティブモードになってしまう。

 

 

学生時代は未来のことで悩まされていたことも多かったが、それが解消しても過去に悩まされるのは変わらない、というよりももっと増えていく。

 

 

旅行が楽しかった、とずっと浮かれさせてくれ。

 

 

 

職場でイラッとすると、同職はみんな年上なので、このBBA共、と思って気持ちを落ち着かせるようにしている。

 

 

あー、なんでBBAはこうなんだろう、ほら、若い事務さんはそんな文句言ったりしないじゃない。

 

 

そう考えてみると、文句を言う事務さんもいることに気付く。

 

 

思い当たる文句を言う事務さんはやっぱりBBAなのだ!!

 

 

そんなBBAにはなりたくない、ならないぞ、私は淑やかなおばさんになるんだと反面教師にしたって、これから何年も何十年もそういうBBA気質の奴らに心を削られていくんだから真面目に生きても割に合わない。

 

 

私もBBAも働くべきではない。

 

 

結論、女は働くべきではない。

 

 

結論、私は誰かに養われるしかない。

 

 

はい、戯言。

 

悪しからず。

 

 

自分で自分の機嫌をとれない

 

無趣味の私は、休日に一人で何もすることがないことがとても苦痛だ。

 

 

アニメや映画、刺繍、ピアノ、麻雀など色々手を出してみたがすぐに飽きてしまう。

 

 

そのこと以外考えられないくらいに何かに熱中して余計なことを考えたくないのに。

 

 

私の心には火がつかない、燃え尽き症候群ならぬ燃えない症候群だ。

 

 

何かに熱中するのにも努力が必要なのか?

 

 

 

 

 

私はおそらく人が苦手なのに一人でいられない。

 

 

昔から一人でいても、頭の中の都合のいい人間と話をしている。

 

 

いわゆるイマジナリーフレンドではなく、実在する人間と頭の中で話をしている。

 

 

現実だと上手く話せないくせに、頭の中では饒舌だ。

 

 

実際にその人にこんな話をしたい、という願望による妄想なのか、こんな恥ずかしい癖は誰にも言えない。

 

 

普段はそのようにして心の平穏を保っているが、自分と自分の中の知人だけでは解決できないこともある。

 

 

その時が一番厄介で、こんなに辛いことがあって、しかもこの話を聞いてもらえる人もいないんだ、と二重に辛くなってくる。

 

 

人に頼らないと生きていけない、自分で解決ができない。

 

 

 

 

 

今日は日中自分で機嫌が取れていて、夜に今日の出来事を実物の人間に話したいと思っていたのにそれが叶わなくなった。

 

 

その途端気分がどん底だ。

 

 

終わりよければすべて良し、ではなく終わりクソならすべてクソ、という極端な結論に至らしめてしまう。

 

 

人に話すために今日一日過ごしていたわけではないのにね、自分が楽しいと思えることをしてたはずなのにね、どうしてこうなの?

 

 

 

 

変わり映えのない毎日を送る中でも、日によって心持ちがかなり違う。

 

 

比較的よく過ごした日でも、ふと嫌な記憶を思い起こしてしまう。

 

 

3年前毎日泣いていた頃のことを、「私おかしかったんだな、一人で可哀想に」なんて軽く考えられるのに、ただフラッシュバックを起こし気が滅入っている今がとても辛いと思ってしまう。

 

 

いつでも今の自分を一番可愛がりたいのだ。

 

 

それなら、これがいつまで続くのか、と未来の自分のことなんて心配してやらなきゃいいのに。

 

 

飲み会が嫌い

 

人から飲み会の話を聞いて不快に思うことがあった。

 

誰々が酔い潰れて〜だの、二次会はこうでその次ダーツに行って結局帰ったのは4時くらいだの。

 

それを聞いていい歳して酔い潰れて恥ずかしくないのか、という思いもあったが、それ以外にも何かもやもやする嫌な気持ちが湧いた。

 

それが何かわからなかったが、少し経ち今気付き更に辛くなってしまった。

 

 

二次会、三次会まで参加し飲み会というものを楽しんでいる人が沢山いるというのに、飲み会という場が苦手で、楽しめない自分が嫌になったのだ。

 

 

人と上手く関われない社会不適合者、その事実から顔を背け生きている。

いざそのことと向き合うとなると苦しくて仕方なくなる。

 

 

幼い頃は大人しくていい子だと言われてきたが、大人になった今になっては大人しく口数が少ないなんていい子とは言えない。

 

 

会社でも早く出世しているのはコミュニケーション能力に長けた陽キャの先輩だ。

 

 

子供の頃いい子でなくてよかったから、生まれつき外交的でありたかった。

 

 

努力厨はきっと努力すればいいことだ、甘えだなどと言うのだろう。

 

 

だが子供の頃から根付いたこの引っ込み思案、生まれつきのこの性格、なぜ人より努力を要するのかと嘆きたくなるのはおかしいだろうか。

 

 

私だって金持ちで可愛くて賢く明るい女に生まれたかった。

 

 

 

 

今問題視すべきなのは、この歳になって自分の境遇を受容しきれていないことかもしれない。