メイド喫茶

 

今年、初めてメイド喫茶に行った。

 

 

メイド喫茶は色々な感情が湧いてくる場所だった。

 

 

まず一つは純粋?に楽しんだ感想。

 

 

はじめに担当してくれて、メイドさんをやりきってるって言ったら駄目なのかな、とにかく可愛く説明してくれた可愛いメイドさんが忘れられなくなっていた。

 

 

通うなんてことはできないから、Twitterとかあるのかな、と探し見てみた。

 

 

そこにはメイドさんとしての彼女、私がほんの少し接客してもらったメイドさんとしての彼女がいて。

 

 

でもそこには好きなキャラクターとか趣味、また普段は学生をしている旨のツイートがあって、彼女としての彼女も垣間見えて。

 

 

なんだか、彼女はこれからも存在しているのに、メイドのバイトを辞めたら私が見ることができる彼女は消えてしまう、という未来を想像してしまい、どうしようもない切なさに襲われた。

 

 

 

 

そんな彼女のTwitterをたまに見ていたのだが、なんとそこで8月で卒業するとの発表。

 

 

なんと想像していた未来がすぐそこだった。

 

 

メイドを卒業したらアカウントは消されるのだろうか、残ったまま更新されないだけなのだろうか。

 

 

知らないけどどちらにしても彼女が過去の人になってしまう感じが悲しい。

生きているのに。

 

 

たった一回行っただけで悲しいなんて常連さんに申し訳ないが、メイド喫茶はそんな感情まで生まれる場所だった。

 

 

 

 

二つ目に客層だ。

 

 

常連さんと見られる男性客はみんなお一人様で、なんていうかどう言っても失礼になってしまうのだが秋葉原が似合う感じの人たちだった。

 

 

基本的に人の趣味を否定する気はないし、メイド喫茶を純粋に楽しんでいるならとてもいいことだと思う。

 

 

しかし、普段彼らは寂しいのではないか、メイド喫茶で女の子に接客してもらうことでその寂しさは紛れているのだろうかと思ってしまった。

勝手で失礼極まりないが。

 

 

もしかしたら、自分が男性であった場合に想像される、数年後の自分に見えたのかもしれない。

 

 

いつも寂しさにばかり目を向けてしまう私は、一生独身だったらどうしよう、寂しさに押し潰される、と不安に思っている。

 

 

数年後の独身の私が寂しさを紛らわすとしたら…と考えるとメイド喫茶のような場に行くのだろうか、と想像されたのかもしれない。

 

 

そんなこと思っている時点で、メイド喫茶を純粋に楽しむ能力がなさそうだ。

 

 

 

 

三つ目にメイドさん

 

 

メイドさんはみんな女の子らしくて可愛い。

 

 

メイド服のような可愛い格好は、可愛い女の子だけができる格好であると思う。

 

 

メイドさんたちが、自分が可愛い女の子である自信を持っており、可愛いメイドさんとしての自分を演出できる自信があることが羨ましくなった。

 

 

羨ましいを通り越して僻みなのか、なんだか苦しくなった。

 

 

 

普段の彼女たちに"可愛いね"と言ったら、"そんなことないよ〜!"なんて謙遜しそう、まあ基本的に女は謙遜するだろう。

 

 

しかしメイドをやっている彼女たちは自分が可愛い自信があるのだ。

 

 

メイドの彼女たちが"そんなことないよ〜!"なんて謙遜したらおかしいのだ。

 

 

謙虚さを持っていそうな女の子たちが本当は自分の可愛さに自信を持っている、ということが包み隠されていない場所。

 

 

可愛いメイドさんと可愛くない自分。

 

 

女としての自信があるメイドさんと自信のない自分。

 

 

そんな対比をしてしまった。

 

 

 

 

 

 

私にとってメイド喫茶は癒されるだけの場所ではなかった。

 

 

一緒にいた友人にこんな捻くれた感想は言えないし、メイドさんのこと気になってTwitter覗いてるなんて気持ちの悪いことも勿論言っていない。