最近友人の友人の友人のすごい人の話を聞いた。
その他人の話を聞いて、もうなんというか、何とも言えずえっ!としか言えなかった。
その人は
・大手企業に勤める
・その同じ会社のちょっといいポジションにいる10個上の男(イケメン)と交際3ヶ月程度でスピード婚
・本人曰く今までの人の中で一番いい(歴代彼氏は20人)
・芸能活動をしているわけでもない(?)のにインスタのフォロワー10万人
・ブランドを立ち上げると数時間で1000万の売り上げ
・美人
何もかも手に入れている。
それを話してくれた友人は羨ましいと言っていたが、羨ましいなんてもんじゃないだろう。
私がもし彼女の人生イベントのいずれかを体験したら幸せの絶頂だろうが、彼女にとってそれは絶頂と言えるほどのことではないだろう。
24年間絶頂の人生だ。
絶頂が普通なのだ。
誰だ天は二物を与えずと言ったのは。
ただ思うのは、いい男と結婚できたのも、インスタで女子に支持されるのも彼女が不細工だったら起きていないイベントだろうということだ。
いい容姿で生まれ、更に彼女に自分を魅せる能力があったからこのような絶頂人生だ。
自分を魅せる能力も先天的なものか疑わしいため、更に私の心を歪ませる。
容姿が一番の才能か。
いつも容姿にとらわれて文句ばかりを言っているが、そうでないことがあると気付いた。
綿矢りさの本を読んだときに、何故こんな美人にこのような文章が書けるのかと思った。
また、私が今まで出会った中で一番美人だと思う同級生はあまり人と群れないタイプで病んでいて、彼女を見る度に影のある美人だ、あんなに美人で何をそう悩み病んでしまうのだろうと思う。
同じ容姿端麗な女性なのに、どうしてこう湧いてくる感情が違うのかと言ったら、きっと幸せそうかどうかなのだろう。
後者が幸せでないと言ったら失礼だしそんなこと本人にしかわからないしなんとも言えないが、人生イージーモードで幸せオーラを前面に出している前者が気に食わないのだ。
"美人に生まれただけで人生イージーモード感"を後者は与えてこないから妬み嫉みはあまり湧かず、むしろ私があなたの容姿だったらもっとハッピーなのにと思ってしまうのだろう。
"美人であること"、"人生イージーモードであること"どちらも手に入れたかったし羨ましいことだ。
それをどちらも得ている人を見ると羨ましさが倍増、というよりもむしろたまたま美人に生まれたからって楽していい人生歩んでやがる、なんて醜い感情に変わってしまう。
こう考えると幸せオーラ全開かそうじゃないかは性格が大きく関わってきそうなのに、また美人なら性格歪むわけないじゃんと考えてしまうのだ。
こう不満を垂れるばかりなのは私の性格が悪いからだ。
性格が悪いからいけないのにブスのせいにしているところがあるが、ブスだから性格が歪むし、可愛かったら性格悪くても上手く行くことあるじゃんってまた結局ふりだしに戻る。
最近性格が悪すぎて苦しくなってきて、私の性格の悪さは後天的だ、と言い訳をしている。
不平不満もそれに対するこの言い訳も頭の中で繰り広げていて、私しか聞いていないのだが。