友達の友達がペアーズで彼氏を作った話を聞いた。
マッチングアプリと言っても言ってみれば出会い系なのだから人には言いにくいと思っていたが、友達の友達という結構身近な人が利用しているとなると後ろめたくないのだろうかと思い、私も婚活(?)に奮闘することにした。
奮闘する気でいたくせに健常者ぶったりプロフィールを見て吟味したりするのが疲れるため、自分からいいねはせず相手からのいいねに返すかどうか判断し、会話は自分からはぐいぐい行かないという消極的スタイルである。
そして私はずるいから、顔写真載せたらいいね一件も来ないだろうと角度が微妙な、はっきりと顔がわかる写真を載せていない。
知り合いがいてバレたら嫌だということもある。
するとどんな顔かを問うてくる男がいる。
当たり前っちゃ当たり前だが、マッチングアプリでも現実世界と同じ、顔が良くなければ会話する価値がないと。
見た目が良いというだけで優遇される世の中に嫌気がさしているというのに、マッチングアプリでもまたそれを思わされる。
むしろマッチングアプリの方が顕著かもしれない。
私は何を思って少しましに写った写真がないかとカメラロールを漁っていたのだろう。
悲しくなった。
見た目がよくない私はプロフィールで釣るしかない。
しかしそこでもまたもやもやし始める。
以前男の人に薬剤師いいじゃんと言われたことがある。
私の価値は薬剤師になることで発生するのだろうか。
将来薬剤師になる女、とだけの紹介ならば印象が良いのだろうか。
薬学部を目指すと決めた高1の私は、自分の価値を見出すために薬学部に行き、薬剤師になろうと決心したのだろうか、
いや違うだろう。
気付かぬうちに資格なしよりも価値がありそうな人間になれそうな道を選んだ過去の自分を褒めてあげるべきだろうか。
ここでまた私を悩ませることは、私は薬剤師に向いていないということだ。
向いていないと思う職業に就くことで得られる他者からの評価。
しかしまた私を悩ませるのは、何を基準にいいねする人を選んでいるかということだ。
全てが理想的な人などいないのだから、どこか妥協をしなければならない。
(すごく偉そう。)
すると妥協していいポイントと妥協すべきでないポイントがわからなくなってくる。
写真の撮り方がsnowのきめっきめの写真でそれを載せる思考回路が理解出来ないけどいいとしよう、キスが好きというコミュニティに参加してるのなんか気持ち悪いけど妥協しよう、東北、中国、四国、九州出身とか結婚するとなると面倒だけど妥協しよう、
なんて偉そうな評価者だ、結局私も。
そうなるとなんだかわからなくなり、結局プロフィール本文で判断している気がするが、そんなの上手く取り繕えるのだ。
やればやる程わからない。
そもそも出会いをマッチングアプリに求めるというのも妥協だ。
でもそうでもしないと孤独死確率100%だから仕方ない。
色々思い返すと、自分が見た目で判断されるのに文句を言っている癖に、ぽっちゃり体型だと嫌だなと思い、高身長だとちょっといいなと思うのに気付いて反省している。
はたしてこれは続けるべきだろうか、続ける意味はあるのだろうか。
マッチングアプリで評価される立場になってなしだと判断されること、逆に評価者としてどういう基準で選ぶのかわからなくなること、健常者ぶってプロフィールを記入したり会話を続けたりすること、この人いい人だなと思っても向こうはそうは思ってなさそうと察すること。
疲弊。