さんま御殿を見ていたら、
ちょうどいいブスほど男に遊ばれているのに男を語りたがる
という話題があった。
男に遊ばれる、と聞くといつの間にか胸が騒つくようになった。
お互い遊びという感覚なら構わないと思うのだが、片方が相手をいいように使い遊ぶということが腹立たしいし悲しい。
人には気持ちがあって、物じゃないのにと思う。
男に遊ばれていた場合、そのことに気付くのと気付かないのではどちらが幸せなのだろう。
気付く場合、遊ばれていたことに傷つき、それに浮かれていた自分が恥ずかしくなり、プライドがズタボロだ。
気付かない場合、自分は幸せなままだが、勘違いブスになってしまう。
よく勘違いブスだったら幸せだったかなと考えるが、勘違いブスを認識している時点で幸せにはなれないなと思う。
私はいつだって本気で、本気だから悩む。
男の件も同様。
はじめから遊びだったと思った方がいいと言われても、そんなの信じたくないじゃない。
気付いてるけど、気付かないふりして、プライドがズタボロになるのを防いでるのだ。
でもあくまでもふりだから、自分とは関係のない遊ばれているブスの話を聞いて胸が騒つくのだが。
私は何事も行動を起こす前は最善の方法を選ぼうと考え、考えと気持ちと現実にギャップができると上手くいかなくなり、こうすべきだったのかと後悔をし、どう捉えていけばいいのかと考える。
いつでも傷つかない道を選ぼうとしていて、でも結局それは最善の道ではなくて、いつまでも悩むことになってしまっている。
悩んだって仕方ないのに。
いつだって遊びだったらよかったのにな。