思い出す

 

思い入れのあるものがある。

 

 

物でも人でも出来事でも、まあ色々ある。

 

 

思い入れがあるからよく思い出して、考えてしまう。

 

 

しかしもう手に入らないから、何度も考えてしまうのは馬鹿らしいから、考えるのをやめようって言い聞かせる。

 

 

あれは大していいもんじゃないとか、あんなところはよくないでしょって駄目なところを憎むようにして忘れようとした。

 

 

でも全然効果がなくて。

 

 

そこで嫌なところを憎んでも、そのもの自体は憎めないことに気付いて絶望した。

 

 

そもそもいい思いを抱いていようが悪い思いを抱いていようが、いつまでも囚われているのは変わりない。

 

 

 

 

よく物語である、ある人物の本当の思いを知らずに勘違いして生きてきたとか、知らぬまま死んでしまったとか、本当はこう思っているのに伝わらない切なさというのが堪らない。

 

 

フィクションなのに、どうしようもない切なさに苦しむ。

 

 

そんな物語があると、私ときたら現実世界にも、と考えてしまっているのだろう。

 

 

あんなことあったなと何か思い出すとき、こんなこと思い出すのは私くらいなのかなと考える。

 

 

その思い出に誰がいようと、思い出として持っているのは私なのだから他人など関係ないはずだ。

 

 

でも、あの人もこうやって思い出すことあるのかななんて考えて、いやそんなことないよなと自己解決して。

 

 

それでも、他人が思い出していることなんて知る由もないのだから、知らないだけでどこかでふと思い出しているのではという空想をして、なんだか切ないなと思ってしまうのだ。

 

 

どう思おうが勝手だけれど、全て私の頭の中でしか起こっていない。

 

 

物語は、思いが届かないから切なくて、それが苦しいと思ったけれども、本当は登場人物が想定しているような最悪な状態ではないということが救いになっている。

 

 

そんな救いを現実世界で私は求めてしまっているからまた空想にふけるのだろう。

 

 

そんなの物語の中だけの話なのに。

 

 

都合が良い頭をしていると言うのか、なんて言うのか。

 

 

 

 

なんていう8月の終わりの下書き。

 

 

今読み返しても同じように思うし、もう3ヶ月以上経っているのにその同じことを辞められていないだなんてね。