期待と不満

 

インターネットを利用していると様々な人の意見を目にするが、その中でもフェミニストや左翼が苦手だ。

 

 

私は保守的であるし、普段あれこれ不満を言っていながらも今の政治のあり方や女性軽視の世の中という大きな規模での不満は抱いていない。

 

 

無知ということが大きいが、まあ別にそれがどうであれ生きていける、とまあこんなところばかりはかなり能天気だ。

 

 

政治のことはわからないから意見できないが、フェミニストの主張に対してはん??と思うことが度々ある。

 

 

女ということで社会において理不尽な扱いを受けていることに対して不満を感じるのは頷けるが、なんでもかんでもこれは不平等だ!私が女だからこんなことを強いられている!男尊女卑のこの世の中!男はクソ!というような過激派フェミニストが怖い。

 

 

全てが平等なんて不可能だ。

 

 

彼女らの主張を見て気付いたのは、不満が生まれるのは期待をしているからということだ。

 

 

彼女らには、女性が虐げらている現状が改善すれば私はもっとこうなのに!というような思いがきっとあるのだろう。

 

 

こういうもんだ、と気楽に考えている私は不満を抱かない。

 

 

一方私はよく身近な人に不満を感じてしまうが、それはその人に期待をしているからということだ。

 

 

期待しないこと、期待しないこと、期待しないこと。

 

 

あの人が失礼な態度を態度を取ってきたと不満に思うのは私が勝手に真摯な態度を期待したから。

 

 

期待したから不満が生まれた。

 

 

期待した私が招いた不満。

 

 

期待した私が悪い。

 

 

あれ、私の期待は過激派フェミニストのそれと同等?

 

 

 

 

なぜ男から身を守るために胸元が開いた服やミニスカートやショーパン等の露出の多い服装を控えなければならないのか、そのような服装の時男が見てくる、男のためにそのような格好をしているのではないとの訴えを何度も見かけたことがある。

 

 

いや、すっげぇ乳だな、めっちゃ露出激しいじゃんって女の私も見ちゃうよと言いたい。

 

 

性的対象でなくても目立つものは目に入ってしまう。

 

 

それを男の視線だけを気にし、全てがそうじゃなかろうにいやらしい目で見られたと騒ぐ、それはただの被害妄想ではなかろうか。

 

 

意識しすぎはよくない。

 

 

適度に能天気でいたい。